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報知新聞蛭間豊章記者の1年余にわたる連載、今後は殿堂入りしていない大選手に対して述べていかれるようだが、62回で完結したので、リンク集を作った。
書籍化を希望

 



野球殿堂記者投票への考察=
第63回土井正博、谷沢健一らの殿堂入りを望む(プロ野球OB編)

野球殿堂記者投票への考察=第62回(2017年度)エキスパート初、星野仙一、平松政次の同時殿堂入りも、原辰徳はまた落選。プレーヤーは伊東勤。特別は郷司裕、鈴木美嶺と計5人入殿

野球殿堂記者投票への考察=第61回(2016年度)工藤公康、日本一監督効果か初年度当選。斎藤雅樹は10年目。エキスパートでは榎本喜八感激の殿堂入り。山中、松本は特別で。

野球殿堂記者投票への考察=第60回(2015年度)古田敦也当選、原辰徳はプレーヤー表彰資格失う。特別表彰の村山龍平には?がつく

野球殿堂記者投票への考察=第59回(2014年度)球史を変えた野茂英雄、堂々の3人目の資格初年度殿堂入り 

 

野球殿堂記者投票への考察=第58回(2013年度)プレーヤーで大野豊、エキスパートで外木場義郎と2年連続カープ勢2人選出。特別は公式戦12試合連続完封の福嶋一雄が当然の殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第57回(2012年度)喜べなかった津田恒実の競技者表彰殿堂入り。北別府学とカープ2人選出。特別は大本修、長船騏郎と3年ぶりにこちらも2人が当選

野球殿堂記者投票への考察=第56回(2011年度)2年連続1票不足だった落合博満が50票増やして当選。エキスパートは最後の30勝投手の皆川睦雄と東北人2人を選出。

野球殿堂記者投票への考察=第55回(2010年度)落合博満が史上初、2年連続1票足らずに落選。殿堂入りは東尾修、エキスパートは遅ればせながら江藤慎一。そして都市対抗の華、古田昌幸

野球殿堂記者投票への考察=第54回(2009年度)青田昇は45年目でエキスパート初の殿堂入り。プレーヤーは若松勉当選、落合博満は1票足らずに落選

野球殿堂記者投票への考察=第53回(2008年度)殿堂規約を大幅改正。メジャー並に引退5年後無条件候補に。堀内恒夫、山本浩二は納得。びっくりした嶋清一の殿堂入り 


 

野球殿堂記者投票への考察=第52回(2007年度)200勝以上挙げ、唯一負け越した梶本隆夫。そして競技者表彰で漏れた松永怜一が特別表彰で殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第51回(2006年度の2)特別表彰には川島広守前コミッショナーと豊田泰光を選出。そして大和球士への思いを込めて

野球殿堂記者投票への考察=第50回(2006年度の1)門田博光、山田久志のライバル同士に、個人的に思い出多い高木守道が競技者表彰で殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第49回(2005年度)村田兆治はトミー・ジョン手術経験者初の殿堂入り。森祇晶が競技者で、特別は志村正順を選出

野球殿堂記者投票への考察=第48回(2004年度) 仰木彬選出、バースは「競技者表彰資格」失う。特別表彰は秋山登

野球殿堂記者投票への考察=第47回(2003年度)5人選出も選手時代の実績少なく地味な野球殿堂表彰

野球殿堂記者投票への考察=第46回(2002年度の2)正岡子規、フランク・オドールが初の新世紀特別表彰

野球殿堂記者投票への考察=第45回(2002年度の1)鈴木啓示、福本豊ら西本幸雄関係者4人が競技者表彰当選。特別表彰は新世紀枠開設し、第1回に次ぐ合計8人が殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第44回(2001年度)根本陸夫が競技者、長谷川良平が特別表彰。これは逆でしょ

野球殿堂記者投票への考察=第43回(2000年度)米田哲也が殿堂入り。350勝&33本塁打、日米野球唯一の投手アーチも

野球殿堂記者投票への考察=第42回(1999年度)資格取得実質1年目で殿堂入りの中西、「生きているうちにもらえてよかった」。広瀬、古葉、近藤貞に、吉国コミッショナーも

野球殿堂記者投票への考察=第41回(1998年度)11年ぶり競技者表彰の殿堂入りはなし。ヒルマ記者怒りのコラム
広岡はそれがなければ、殿堂入りは不可能だっただろう。

野球殿堂記者投票への考察=第40回(1997年度)初の規定票数ジャストの大杉勝男が「天国から殿堂入り」

野球殿堂記者投票への考察=第39回(1996年度)鉄人・衣笠祥雄、悲運の名投手・藤田元司殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第38回(1995年度) 日本シリーズ4戦4勝の杉浦忠。殿堂入り発表日に球界に苦言。西村正夫は資格最終年も落選

野球殿堂記者投票への考察=第37回(1994年度) 日本プロ野球史上最高の人物。王貞治が2人目の資格1年目で当選

【巨人コラム・Gペン】犠打に歴史あり

野球殿堂記者投票への考察=第36回(1993年度) 稲尾、村山両エース殿堂入り。特別表彰は史上初の当選者なし

野球殿堂記者投票への考察=第35回(1992年度)豊田泰光のライバル、名遊撃手2人が殿堂入り

イチローへの、もう一つの期待(第840回)

野球殿堂記者投票への考察=第34回(1991年度)桑田武急死で扱い極小に。理由はそれ以外にも?

野球殿堂記者投票への考察=第33回(1990年度)「喝!」の張本勲4年目で殿堂入り。そして、島岡が候補に

 野球殿堂記者投票への考察=第32回(1989年度)月見草・野村克也、鉄腕・野口二郎ら殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第31回(1988年度の2)最後の大物オーナー・永田雅一もやっと殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第30回(1988年度の1) 長嶋、金田、別当ら計7人殿堂入りは第1回以来の大量当選

 野球殿堂記者投票への考察=第29回(1987年度) 当選者なく再投票急きょ決めるもこちらも規定に達せず

 野球殿堂記者投票への考察=第28回(1986年度) 初候補の長嶋茂雄落選も「先輩の皆さんにぜひ元気なうちに殿堂入りを実現させてあげたい」と大人のコメント残す。

 野球殿堂記者投票への考察=第27回(1985年度の2)特別表彰では「元祖記録の神様」と「ベーブ田中」殿堂入り

 野球殿堂記者投票への考察=第26回(1985度の1)「フォークの神様」に「火の玉投手」など競技者表彰初の3人選出

 野球殿堂記者投票への考察=第25回(1984年度)400勝左腕がたった82票で、スポーツ紙1面に登場

野球殿堂記者投票への考察=第24回(1983年度)三原脩、史上2位の高率で当選。特別は内村祐之と超大物2人選出

野球殿堂記者投票への考察=番外編(GT監督は殿堂入りのパスポート!)

野球殿堂記者投票への考察=第23回(1982年度) 9年ぶりに競技者は選出ならず。特別表彰は鈴木、外岡が殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察=第22回(1981年度) 初の1票足らずに落選者。佐伯達夫は15年越しで殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察(第21回=1980年度) 下弘が戦後プロ入り組初の栄誉、小鶴誠とともに選出。 そして特別表彰は千葉茂と名選手3人が殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察⑳(1979年度) 2人目の300勝、別所毅彦が競技者表彰。小鶴誠は2票に泣く  特別表彰は元横浜市長・平沼亮三、逆ワインドアップの谷口五郎

野球殿堂記者投票への考察⑲(1978年度)競技者表彰は松木謙治郎、浜崎真二。特別表彰は吉原正喜に伊丹安広、岡田源三郎と往年の六大学関係者が5人中4人選出

野球殿堂記者投票への考察(1977年度)競技者表彰は名将・水原茂、テスト生から永久欠番の西沢道夫。特別表彰は森茂雄、西村幸生とタイガース組2人 

野球殿堂記者投票への考察(1975、76年度)規約改正で投票発表は年明けに変更。ために75年度は空白。76年は初の完全男と志ん生と縁の深かった慶大塾長を選出

野球殿堂記者投票への考察(1974年度)競技者投票発表日は偶然にも長嶋茂雄新監督スタッフ発表日。特別表彰含め3人そろってタイガース関係者

野球殿堂記者投票への考察(1973年度)競技者表彰0。特別表彰は野球博物館に功績の広瀬、天野ら選出

野球殿堂記者投票への考察(1972年度) 監督、コーチで功績の石本秀一が2年ぶり競技者当選。 特別は別名「中野老鉄山」、「太田四洲」を選出

野球殿堂記者投票への考察(1971年度)3年ぶりに競技者での当選者なし。投票5位の蔭山和夫、近年の投票の傾向なら殿堂入りしていた可能性も

野球殿堂記者投票への考察⑫(1970年度) 映画のモデルになった名将と「オレがルールブックだ」の名審判。特別は個性的な業績の3人を選出

野球殿堂記者投票への考察(1969年度)名人・苅田が競技者4年ぶり当選。特別は大量5人を選出

野球殿堂記者投票への考察⑩(1968年度)3年連続該当者なし。特別は兄弟と日米の懸け橋3人を選出
野球殿堂記者投票への考察⑨(1967年度)初の2年連続該当者なし。特別は慶大監督・腰本寿
野球殿堂記者投票への考察⑧(1966年度)規約改定で候補者急増し該当者なし。特別は一高の鉄腕・守山恒太郎

野球殿堂記者投票への考察⑦(1965年度の2)佐伯天皇が史上唯一の殿堂入り辞退
 野球殿堂記者投票への考察=特別版=  竹中半平さん推薦の「甲子園大会生みの親」田村木国氏とは
野球殿堂記者投票への考察⑥(1965年度の1)3年連続再投票。川上、鶴岡まさかの同数で当選
野球殿堂記者投票への考察⑤(1964年度)病の中、殿堂入り発表に出席した若林忠志
野球殿堂記者投票への考察④(1963年度)何と28人の棄権者。初の再投票で初代三冠王殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察③(1961、62年度)1961年該当者なしも翌年、名審判殿堂入り

野球殿堂記者投票への考察②(1960年度)今も残る史上最高得票率のスタルヒン

野球殿堂記者投票への考察①(1959年)

 
 

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